タツヤ君

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珈琲屋吹野の斜め前に、コインランドリーがあります。
当店のお客様の中には、時々このランドリーの
終了時間待ちをする方がしらっしゃいます。

4月のとある日の夕方6時半頃でした。
ひとりの若者が、やはりその終了待ちにと入って来ました。

いきなりカウンターに腰掛け、メニューの中からブレンドを選ぶと、
ぐるりと店内を見回し、「素敵なお店ですね~」と言いながら
徐に取り出した煙草に火をつけました。

合宿免許を取得する為、大阪から来ていると言う。
彼がタツヤ君です。

お店に興味があるのは、自身も飲食業に携わっているから!!

ステーキハウスにお勤めしていたけれど、今度はイタリアンを
勉強したいと思い、ステーキハウスを辞め、転職前に、
バイクの免許を取得するべく、米子へ来ているとの事!!

その日はすぐに閉店時間になってしまい、あまり話が出来なかったので、
「また来ます。その時写真撮らせて貰ってもいいですか?!」
と言う言葉に、もちろん「いいですよ~どうぞ!!」と応えました。

それから2~3度、洗濯の度に立ち寄り、色々話をしました。

米子に向かう日には、4月だというのに雪が降り、
(大変な所に来てしまった!!という後悔にも似た思いもあり)
薄着をして来ていたので慌てた!という話や、
夜8時を過ぎると静まり返る街(大阪とは大違い!!)に驚いた事、
高速教習の時、とても綺麗な山が見え、それが「大山」だと知り感動した事

このところ、日本や中国の歴史に興味を持ち、本や映画をよく観る、
という話を徒然なるままに語り、そして、
「順調に行けば、今日が、ここへ来る最後の日になると思います」
と、礼儀正しく別れを告げ、愛しい人の待つ大阪へ帰って行きました。

約束通り、珈琲屋吹野の店内のあちこちを、持参のデジカメにしっかり収め、
ちゃっかり自身の働いていたステーキハウスの写真も披露してくれました。

一年後か、三年後か、十年後かもしれません。
いつか自分のお店を開く時が来たら、
是非知らせて下さいね!!
美味しいパスタ、食べに行きますから、宜しく!!

それとも、愛しい人をバイクの後ろに乗せて、
米子に美味しい珈琲を飲みに来てくれるかな~?!


米子を気に入ってくれたでしょうか?!
いつか、自分の店を持つ事が夢だと、熱く語ってくれたタツヤ君。
その時は是非連絡下さい。

 

アシュリー

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「今日営業していらっしゃいますか~?!」

開店と同時に、そんな電話が入りました。
「はい~営業しております~!!」と元気にお応えすると
「それでは、これから行かせて戴きます!!
場所は以前のままですよね~?!」という質問にも
「はい~変わっていませんよ~」とお返事する。

それから30分くらい経った頃でしょうか?!
5人連れのお客様は、広島から!!とのことでした。
「以前にも伺ったのですが、とても素敵なお店で
気に入っていたので、また今回もおじゃましました!!」と
何よりも嬉しい言葉を戴きました(感激)

大型連休が始まると、毎年このように、少し遠くからの
お客様がお出で下さるので、こちらも愉しみにお待ちしています。
故郷を離れている人たちが帰省して、懐かしく訪ねて下さるのもこの季節です!!
そんな皆さんを昔と少しも変わらない「吹野」で
お迎えするのが、私の役目だと思っています!!

そんな一日を終えた昨夜、新聞のテレビ欄に、アシュリーの名を見つけ、
慌ててチャンネルを合わせました。

アシュリーのことを知ったのは、もう5年くらい前になると思います。
やはり、そのテレビ番組でした。

「プロジェリア」という遺伝子の病気を知ったのも、その時でした。
精神は、1年に1歳年をとるけれど、肉体は10歳年をとるというその病。
たしかに、その当時12歳くらいだった少女アシュリーは、
とても12歳の子供には見えず、宇宙人のようでした。
でも、心はとても純粋で、自分が背負ったその人生に
不平や不満を言わず、とても前向きに生きている姿が
あまりに健気で、涙が止まらなくなり、
この子の生き方を応援しよう!!と思ったのでした。

それから毎年、アシュリーの「その後」が報じられるたびに
「ああ~まだ、元気に『生きている』」という確認をしていました。
一時、アシュリーのお母さんが手記を出したりした時は、
あまり好ましくないことに思え、少し心が痛みましたが、
同じ病しを持つボーイフレンドができた時の、
アシュリーの幸せそうな顔は忘れられません。
その男の子も、残念な事に
「人生は長さじゃない、 どう生きるかなんだ・・・」
と言い残し、この世を去りました。

そしてアシュリーも、愉しみにしていた高校の卒業式を
迎えること叶わず、2009年4月21日
18歳を迎える一ヶ月前に、大好きなお母さんの腕に抱かれ、
静かに逝ってしまったそうです。

今一番しあわせだと思う事は?という質問には
笑顔で「生まれて来たこと・・・」とこたえ、
「人生は不満を云うほど悪いものじゃないから・・・」
と云い、卒業式に着るはずだったドレスを身にまとい、
天国に旅立っていったアシュリーの冥福を心から祈ります。

17歳11ヶ月の生存は、プロジュリアの世界最長寿記録だったそうです。

生きたくても生きれない人たちがいる、ということ、
健康であるということのしあわせを、改めて深く感じています。

 

 


 

愛についての100の物語

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あい 口で言うのはかんたんだ
愛 文字で書くのもむずかしくない

あい 気持ちはだれでも知っている
愛 悲しいくらい好きになること

あい いつでもそばにいたいこと
愛 いつまでも生きていてほしいと願うこと

あい それは愛ということばじゃない
愛 それは気持ちだけでもない

あい はるかな過去を忘れないこと
愛 見えない未来を信じること

あい くりかえしくりかえし考えること
愛 いのちをかけて生きること

先日、玄関先で見送る私に、
何度も 何度も 振り返り 振り返り 
手を振ってさよならを繰り返し、珈琲屋をあとにされた
鈴木昭男さんより送られて来たパンフレットに綴られていた
谷川俊太郎さんの詩 です。

4月29日から7月20日まで、金沢21世紀美術館で開催される
「愛についての100の物語」のバンフレットなのですが、
トーク、ライブ、パフォーマンス・・・
予想外の出来事が次々生まれる展覧会です!
と、なんとも興味をそそられるものに仕上がっているのです!!
その写真も、この添えられた谷川俊太郎さんの詩も、とても素敵なこのイベントに
鈴木さんも参加されるのです!!素晴らしいですね!!

それと共に送って戴いたDVD「点気」(きだて)には、
谷川俊太郎さんの詩の朗読と鈴木さんの「オ・ト」が収録されているのですが、
鈴木さんの手にかかると、ありとあらゆる「モノ」が
なんでも、すべて「オ・ト」になるんだ・・・と気付かされます。
それは 例えば 「紙を破る(裂く)オ・ト」
それは 例えば 「ふたつの石をぶつけ合う オ・ト」
それは 例えば 「空き瓶をニットに包んだものを叩く オ・ト」
それぞれが それぞれの 独特の「オ・ト」を奏でるのです!
途中の鈴木さんと谷川さんの会話も、なんだかとても
こころが「なごむ」対話になっていて、ほっこりします。

とても素敵な、貴重なものを戴き、出会えたことに感謝しています。

愛知県の一宮市には、「点音(おとだて)」のスポットがあるそうです!!
野外で楽しむ茶会のことを「野点(のだて)」と言います。
町中で音を楽しむことを「点音」と鈴木昭男さんは名付けました。
地面に白くプリントした
耳+足型のマークの上に立って佇み、
耳を澄ますスポットがあるそうです!!

きこえる音 きこえない音
見えるもの 見えないもの に 耳をすます1日・・・

そんな一日を過ごしてみたくなりました。

 


 

「アナラポス」

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4月22日夕刻、何の前触れも無く
鈴木昭男さんがいらっしゃいました!!

鈴木さんは網野町在住のアーティストです。
この方も、桂まめださん同様、明日香村の渡辺誠弥氏のご紹介で、
2004年2月に珈琲屋吹野で「音」を奏でて戴きました。

丁度その日、お客様と鈴木さんのお話をしていたので、
まさにその当人ご登場に驚きを隠せない私でした。

トレードマークの帽子、いつもの優しい笑顔で、
私をびっくりさせようと、何も知らせず、
突然のご来訪だったようです。

前日ロンドンからお帰りになったばかり、にも拘らず、
網野町で親しくしている「kanabun」さんに誘われ、
フラ~ッと山陰の旅にいらしたとか!!
いかにも鈴木さんらしい~と笑ってしまいます。

持参のカバンの中には、5年前に吹野で「音」を響かせて下さった
自作の楽器「アナラポス」がありました。
他にも、石笛や、古代の笛の音を幻想的に聴かせて戴いた
あの日あの時の摩訶不思議な「音」たちの記憶が甦って来ました。

話はやはり共通の知人である渡辺氏の話になり、
お互いの逸話が渡辺氏の性格に共通するものがある事が解かり、
改めて、大切にしたい方だと再確認したりしました。

網野町に10年がかりで建設中の自宅があるとか、
「弥生の笛」製作のために100個くらいの石を探し求めているとか、
気の遠くなるようなお話なのですが、鈴木さんの口から零れると
なんとも自然に聴こえて来るのが不思議です。
そんなふうに、「時かゆっくり流れている人」鈴木さん。

今月末には、金沢美術館でのお仕事が控えているとか!!
これからも、益々のご活躍をお祈りしています!!

そして、また、フラ~ッと来て下さい!!
お待ちしていま~す!!

 

 

闘病

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昨年の12月のこと。
いつものように電話が鳴る。
いつものように「珈琲屋吹野です」と出る。
すると、ノイズのような「音」で「マツバラデス」と聞こえたよな気がした。
勿論その声は、私の知っている松原さんとは程遠い「声」でしたが、
「ええ~っ!!マスターですか~?!」と問い返すと
「ソウヤ~」とまた、振り絞るような関西弁に私は言葉を失いました。
「コエガデエヘンノヤ」と、やっと聞き取れる声がする。
声の主は、30年前、珈琲修行に上京した折、2年間お世話になった
東京新宿珈琲屋のマスターでした。

マスターの病との戦いが始まったのは15年くらい前でした。
病名は「悪性リンパ腫」でした。
電話でその病を告げられた時と同じくらいの衝撃があった
今回の電話の声でした。
15年前からずっと自宅での療養が続いていたのですが、
昨年12月容態の悪化で入院されたのでした。

いろいろ質問したい事はあったのですが、
喋るのが辛そうなので、聞き役に専念しました。
お正月を病院で過ごさなければならない事を余儀なくされ、
それが一番の不満のようでしたが、病気治療の為、仕方ありません。

それから五ヵ月後の4月10日、いつものように電話が鳴り、
いつものように出ると、少し間があった後「マツバラデス!!」
と、また振り絞るような声が聞こえて来ました。
ずっと気になっていたので、様子を伺うと
「ヤット 今日 退院ヤ~!!」と、苦しそうな中にも
喜びが伝わってくる返事が返って来ました。
12月には訊けなかった「どうして声が出ないの?!」
という質問をしてみると、
「治療ノタメニ 喉ヲ切ッタカラヤ~」と言う。
「もう、ずっと声は出ないままなの?!」という問い掛けには、
「イズレハ出ルヨウニナルラシイ」と聞き安心する。

30年前、東京の珈琲屋で初めてマスターの珈琲を飲んだ時、
あの日の衝撃は忘れられません。
珈琲の豆が、マスターの注ぐお湯を深呼吸するようにフワフワと膨らみ、
そんな光景を今まで見た事の無かった私は「珈琲の不思議」を目の当たりにし、
そして、その抽出された液体(珈琲)のあまりの美味しさに感動しました。

いつか私にもこんな美味しい珈琲が点てられる様になるのだろうか?!
と始めた修行でしたが、なかなかマスターのようには豆は膨らんでくれず、
なんとかお客様に出せるようになるのに三ヶ月かかりました。
それでもマスターの味には到底及ぶものではありません。

自分の店を持ってからも、ずっとマスターの味に
追いつけ、追い越せ と頑張ってきました。
7~8年前、療養中に故郷兵庫へお帰りになった時、米子まで足を伸ばして下さり、
久し振りに私の点てた珈琲を飲んだ時に、「旨い、美味しい!!」と言って戴き、
漸く卒業証書が貰えたような気がしました。

東京での、あの修行が無かったら、今の私は、今の珈琲屋吹野は無かったと思います。
珈琲の点て方だけではなく、行儀見習や、お客様との接し方、
掃除の仕方からお花の生け方まで、ありとあらゆる、学校や家庭では
教わらなかった事をすべて教えて戴いた、そんな2年間でした。

そんな修行の話はまたいずれ書く事があると思います。

電話で「吹野サンハ元気ソウヤナ~!!」と言われ、つい
「そうなんです!元気だけが取柄なんですよ~!!」と
何気なく言ったのですが、病気を抱えている人にとっては
「元気」はかけがえの無いもの。
心無いことを言ってしまったかも、と、悔やまれます。

恩師の退院を祝し、どうぞ元気でいて下さいと、
祈りを込めて、綴ってみました。

五ヶ月ぶりに美味しい珈琲が飲みたいから珈琲豆を送ってくれと言われ、
早速宅急便で送った珈琲を美味しく飲んで下さってるようです!!