闘病

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昨年の12月のこと。
いつものように電話が鳴る。
いつものように「珈琲屋吹野です」と出る。
すると、ノイズのような「音」で「マツバラデス」と聞こえたよな気がした。
勿論その声は、私の知っている松原さんとは程遠い「声」でしたが、
「ええ~っ!!マスターですか~?!」と問い返すと
「ソウヤ~」とまた、振り絞るような関西弁に私は言葉を失いました。
「コエガデエヘンノヤ」と、やっと聞き取れる声がする。
声の主は、30年前、珈琲修行に上京した折、2年間お世話になった
東京新宿珈琲屋のマスターでした。

マスターの病との戦いが始まったのは15年くらい前でした。
病名は「悪性リンパ腫」でした。
電話でその病を告げられた時と同じくらいの衝撃があった
今回の電話の声でした。
15年前からずっと自宅での療養が続いていたのですが、
昨年12月容態の悪化で入院されたのでした。

いろいろ質問したい事はあったのですが、
喋るのが辛そうなので、聞き役に専念しました。
お正月を病院で過ごさなければならない事を余儀なくされ、
それが一番の不満のようでしたが、病気治療の為、仕方ありません。

それから五ヵ月後の4月10日、いつものように電話が鳴り、
いつものように出ると、少し間があった後「マツバラデス!!」
と、また振り絞るような声が聞こえて来ました。
ずっと気になっていたので、様子を伺うと
「ヤット 今日 退院ヤ~!!」と、苦しそうな中にも
喜びが伝わってくる返事が返って来ました。
12月には訊けなかった「どうして声が出ないの?!」
という質問をしてみると、
「治療ノタメニ 喉ヲ切ッタカラヤ~」と言う。
「もう、ずっと声は出ないままなの?!」という問い掛けには、
「イズレハ出ルヨウニナルラシイ」と聞き安心する。

30年前、東京の珈琲屋で初めてマスターの珈琲を飲んだ時、
あの日の衝撃は忘れられません。
珈琲の豆が、マスターの注ぐお湯を深呼吸するようにフワフワと膨らみ、
そんな光景を今まで見た事の無かった私は「珈琲の不思議」を目の当たりにし、
そして、その抽出された液体(珈琲)のあまりの美味しさに感動しました。

いつか私にもこんな美味しい珈琲が点てられる様になるのだろうか?!
と始めた修行でしたが、なかなかマスターのようには豆は膨らんでくれず、
なんとかお客様に出せるようになるのに三ヶ月かかりました。
それでもマスターの味には到底及ぶものではありません。

自分の店を持ってからも、ずっとマスターの味に
追いつけ、追い越せ と頑張ってきました。
7~8年前、療養中に故郷兵庫へお帰りになった時、米子まで足を伸ばして下さり、
久し振りに私の点てた珈琲を飲んだ時に、「旨い、美味しい!!」と言って戴き、
漸く卒業証書が貰えたような気がしました。

東京での、あの修行が無かったら、今の私は、今の珈琲屋吹野は無かったと思います。
珈琲の点て方だけではなく、行儀見習や、お客様との接し方、
掃除の仕方からお花の生け方まで、ありとあらゆる、学校や家庭では
教わらなかった事をすべて教えて戴いた、そんな2年間でした。

そんな修行の話はまたいずれ書く事があると思います。

電話で「吹野サンハ元気ソウヤナ~!!」と言われ、つい
「そうなんです!元気だけが取柄なんですよ~!!」と
何気なく言ったのですが、病気を抱えている人にとっては
「元気」はかけがえの無いもの。
心無いことを言ってしまったかも、と、悔やまれます。

恩師の退院を祝し、どうぞ元気でいて下さいと、
祈りを込めて、綴ってみました。

五ヶ月ぶりに美味しい珈琲が飲みたいから珈琲豆を送ってくれと言われ、
早速宅急便で送った珈琲を美味しく飲んで下さってるようです!!