東京新宿珈琲屋

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先日「見えない糸」でご紹介したように、
「珈琲屋吹野」へいらして戴くようになるきっかけは、本当にいろいろです!!
ガイドブックや雑誌、新聞だったり、インターネットや、友人知人の紹介などありますが、
この方がいらして下さるようになったきっかけをお訊きして驚きました☆!

三上さんは、いつもご来店下さる常連のおひとりでいらっしゃいますが、それ以外でも、
お中元、お歳暮の季節になると、いつも吹野の珈琲を進物用に遣って下さいます☆
もう何年にもなるので、この頃は贈り先の方も愉しみに待っていて下さるんですよ~♪
などと言って戴くと、こちらも喜び勇んで箱詰めをする手も軽やかになります(笑い)♪♪

そんな三上さんが、漸くこの頃になって
「吹野」へいらっしゃるようになった「きっかけ」をお話して下さいました。
それは、こんなお話でした。

20年くらい前のお話だそうです。
当時、妹さんが東京にいらして、三上さんが上京された時のこと。
丁度三上さんのお誕生日だったので、そのお祝いにと、妹さんは奮発して
ちょっと高級な「ステーキ屋さん」に連れて行って下さったのだそうです~☆

美味しいステーキのコースを召し上がり、最後に珈琲が供され、
その美味しい珈琲を戴きながら、お店の方とお話をしている時に、
「どちらからいらっしゃったんですか~?!」と訊かれたそうです。
そこで、三上さんが「鳥取県の米子からです!」と応えると、
お店の方が、笑顔になり、「米子に珈琲屋吹野さんってあるのご存知ですか~?!」
と言われたそうです。
残念ながら、20年前にはまだ「吹野」をご存じなかった三上さん(泣)!!
知らないと応えたら、お店の方がこう話して下さったのだそうです・・・

米子で「珈琲屋吹野」を営んでいる吹野さんは、このステーキ屋のオーナーが
経営する珈琲屋で修行をされた人なんですよ~☆♪☆    と・・・

私は、三上さんが「東京新宿のステーキ屋」という言葉を口にされた時から、
そこが新宿西口の大村ビルの細い階段を上がった2Fの「玄庵」で、
目の前のカウンターの鉄板の上で、見事な手さばきでお肉を焼いてくれる光景が
浮かんで来て、涙ぐみそうになっていました~☆

そうです!!
そこは、まさしく私が修行した珈琲屋のマスターが、私が在京中にオープンさせた
念願の「ステーキ屋」さんだったのです!!

今では当たり前のようになって来ましたが、まだその当時は、
お客様の目の前で、ナイフとフォークを器用に動かし、
ショウのように鮮やかにお肉を焼く、なんて見たことありませんでした。
それを30年前、東京八王子の「うかい亭」というお店でやっていたんです!!
(今では大変な名店となり、時々TVのグルメ番組で紹介されますよ~☆)

初めて珈琲屋のマスターにその「うかい亭」へ連れて行って戴いた時は、
本当に、あまりにも美しい手さばきに「拍手」をしてしまったくらいです!!
思わず「お上手ですね~☆☆」なんて、プロに向かって失礼な事を言った記憶があります(苦笑)

そして、ず~っと珈琲屋だけを続けているマスターが、
「いつかこんなステーキ屋をやりたいんだ☆」と話して下さった「遠い日」を思い出していました。

そんな懐かしい店の名前が三上さんの口から零れ、そしてその見えない糸に手繰り寄せられ、
三上さんは今「吹野」のたいせつなお客様になって下さったのです☆~☆

「見えない糸」は、本当にあるんですね~!!
先月の終わりにもおひとり、そんな糸に手繰り寄せられるように来て下さった方がありました☆

その方は、東京の方で、中野さんと名乗られました。
お母様の出身地が島根県の隠岐の島で、そちらへいらっしゃることになり、
近くに美味しい珈琲のお店はないかな~?」とネットで検索されたのだそうです。

島根、鳥取両県のお店が、たくさん出て来たそうです。
その中から検索していき、「珈琲屋吹野」に出会い、「ブログ」を発見!!
そのブログを開いてみると、東京で修行した話があり、何とその修行先は、
今現在、その方がよく通っていらっしゃる珈琲屋さんだったのだそうです(サプライズ)!!

その方もビックリなさって、すぐにその新宿の珈琲屋さんへ確認されたところ、
「ここで修行された吹野さんという人が、米子で珈琲屋さんをしている」と仰ったそうです♪

もう30年も前の「化石」のような私のことを憶えていて下さったということにも感激です(笑い)

そうして中野さんは、隠岐の島への途中、珈琲屋吹野の止まり木に羽根を休めて下さったのでした。
「珈琲も美味しかったですし、お店も、とっても素敵です~☆」
という有り難い言葉を残し、お母さまのふるさとを後にされました。

毎日、前を通っていても気付かない人もいらっしゃいます。
東京から、わざわざ訪ねてくださる方もあります。
何かの「ご縁」「見えない糸」ととしか言いようがないと思います。

そして30年も前の遥か昔となりつつある私の東京での暮らしが、
今改めて懐かしく思い出される今日この頃・・・でした♪♪