和おばちゃん

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大好きだった叔母が、13日の朝静かに息を引き取った。

毎週定休日の木曜には病院へ見舞っていた。

出来ていた会話も徐々に少なくなり、この頃は譫言のような話も多くなり、
現実なのかどうか、一人娘(私にとっては従妹)に確認しなければならなくなっていた。

もともとお話をするのが好きな叔母だったから、見舞いに来た私たちに何か話したくて
仕方なかったのだと思う。

そんな譫言のような話を聞ける日はまだ良い。
時には話も出来ないような日もあり、そんな日の帰り道は足取りも重くなった。

11日に見舞った時、叔母は手を動かすリハビリを施してもらっていた。
苦しそうに呼吸をしていたが、話しかけると返事をして、そして笑顔も浮かべたので
療法士の女の子も「笑顔が出ましたね」と微笑んだ。

何か一生懸命話そうとする叔母の声を何とか聴き取ろうと耳を近づけた。

暫し話を聞き、叔母も疲れるだろうと思い、そろそろ帰ろうかと胸元の叔母の左手の上に
手を置き「じゃあ帰るからね」と声をかけたら、私の手の上にすっと自分の右手を重ね
私の手を握りしめてきた。

その手には力は無かったけれど、「まだ帰らないで・・・」と言っているように感じた。

今までも、いつもそうしていたのに、握り返して来たのは初めての事だった。

そのまま暫くそのままに叔母の顔を見ていたら、違う言葉が手に伝わって来た・・・
「ありがとう」と・・・

今までありがとう・・・と聴こえて来て不安がこみ上げた。

そっと手をほどき、病室の出口に立ち、いつもなら「じゃあまたね!!」と手を振るのに
その日は何故か立ち去り難く、暫しそこに立ち尽くしてしまった。

結局それが叔母との別れとなり、2日後叔母は静かに旅立った。

胸騒ぎが現実にならないようにと祈ったのに、届かなかった。

昨夜はお通夜で読経の間、とめど無く涙がこぼれた。

今日は葬儀です。
申し訳ありませんが、珈琲屋はお休みさせて下さい。

ちゃんと叔母を見送って来ます。

その場にいるだけでまわりを明るくする陽だまりのような人でした。
親戚が集まれば、いつもその中心にいるのは叔母でした。

父の6人兄弟の一番下の妹でした。
5人の兄はみな先に逝っているので、そのうちみなと再会することでしょう。
勿論両親とも、2年前に先立った夫とも・・・

ひとり残された娘のことはきっと心残りだったに違いないが、
誰からも愛される娘に貴方が育てたから大丈夫だよ、安心して!!

どうか安らかに・・・と     合掌