大切な「記念日」

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昭和56年(1981)8月10日 晴れ
朝から暑い一日の始まりでした。

そうです。この日「珈琲屋吹野」がここ米子の地に産声をあげたのでした。

堅実な公務員だった父は私が珈琲屋を始める事に不安を抱き反対していました。
その父を説得し、自宅を改装して店舗にすることをやっと承諾してもらい、
とうとう開店の日を迎えました。
父と母と三人で、慣れない彫刻刀を手に、指にタコを作りながら彫った看板も掛け、
準備万端でした。  と言いたいところですが・・・
アクシデントは必ず何かあるものです。
作り付けの長椅子 以外の椅子28脚が、開店時間になっても届かないのです!!
急遽、古巣「野村證券」に会議室のパイプ椅子をお借り出来ないかと願いし
快諾戴き、ビルの三階から降ろしてやっと軽トラで店の前まで運んで来たところへ、
まるで時を計ったかのように、発注していた椅子が届く!! 
そんなドタバタがありました(笑い)
また、慌ててパイプ椅子を返しに行く羽目になり、とんだ無駄骨でしたが、
それも今となっては懐かしい想い出です。

東京から駈け付けて下さった私の珈琲の師も汗だくになりながら
椅子運びを手伝って戴き、あれこれ細かい事も指示を出して貰い助けられました。

開店予定時間、11時を少し過ぎてしまいましたが、
次々とお客様がお出で下さり、新前店長と、その両親は、あたふたと動き回り、
お祝いに来て下さった人達の接待とで、あっという間の一日でした。

開店初日を、心配して応援に来て下さった東京の師のお蔭で無事終え、
その夜は両親と四人、駅前のお寿司屋さんで祝杯をあげました。
そして、まだ不安で一杯の両親に東京の師が、
「お父さん、お母さん、吹野さんなら大丈夫ですから・・・
彼女なら絶対大丈夫ですから、安心して、手伝って下さい(笑い)」と・・・。
その一言で、両親もやっと少し不安を払拭したようでした。

そして、その日から毎日毎日、懸命に働く私の姿を見て、漸く父も安心して、
私に全てを任せてくれるようになりました。

その開店の日に来て下さった方の中には、今も変わらずお出で戴いている方があります。
28年という長い月日の間に、沢山の方にお運び戴き、
珈琲屋吹野は今日まで、皆さんに支えられて来ました。
皆さんのお蔭で、この日を迎える事ができました。

開店当時はまだ角盤町は、米子の「中心地」でした。が、今は・・・
人の流れが全く変わってしまい、とても静かな街になってしまいました。
車社会になり、「駐車場が無い」というのも致命傷です。

それでも、わざわざ足を運んで下さるお客様がいて下さる。
これほど嬉しい事はありません。
今後も、初心を忘れず、体が続く限り、更に精進致します。
どうぞこれからも、「珈琲屋吹野」を宜しくお願いします。

 

       感謝状

  あなたは 雨の日も風の日も
  夏の暑さや 冬の寒さにも めげる事なく
  いつも 明るい笑顔と 美味しい珈琲を
  提供し続けて くれました
  お蔭で 学校や 会社での疲れや
  家事 育児の苦労を 吹き飛ばし
  元気を 分け与えて 戴きました
  二十年の 偉業を称え
  これを 表します
        
          平成十三年八月十日
     
         「珈琲屋吹野」ファン一同


8年前、松江から来てくれる寧子さんから、こんな素敵な「感謝状」を戴きました。
嬉しくて 嬉しくて 何度も読み返し、20年を振り返り、涙が出ました。
小さな「感謝状」ですが、その日から私の心の大きな支えとなり、
今も額に入れて飾り、時折眺め、励まされています。
寧子さん、ありがとう☆
これからも頑張ります♪☆♪

8月10日は、「珈琲屋吹野」の生まれた日  開店記念日でした☆!